文教大学広報マーケティング室の広報プランナーが毎回、キャンパスの研究室等を訪ね、そこの教職員の専門分野や研究テーマを伺いながら、その方の人柄を中心に紹介します。またその名の通り物々交換もします。


by bunkyo_warashibe
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No.012 文学部 鈴木健司 教授【日本近代文学】

越谷校舎の正門を入ると、目の前にそびえる3号館の6階が今回紹介する研究室があるところです。文学部の研究室なのに、扉の外まで岩石が転がっている不思議なところ。理科の研究室に迷い込んだと錯覚してしまうほどのコレクションを誇る、この部屋の主が今回の「わらしべ広報プランナー研究室訪問記」に登場される、この人です。


c0223443_14315586.jpg 鈴木 健司 教授
 (すずき けんじ)


 【所属】  文学部
        日本語日本文学科

 【専門領域】 日本近代文学




◎ひたすら、宮沢賢治

017.gif 専門分野について教えてください。

「専門分野は日本近代文学の『宮沢賢治』という作家です。現在では、『宮沢賢治』という名は日本中あまねく知れ渡っていると思います。かつては、『雨ニモマケズ』の作者としてよく知られていたと思います。ただ、『雨ニモマケズ』から入ると、なかなか研究対象にならない作家です。つまり、人生的に宮沢賢治を理解しようとしますから、人間的努力がテーマになるわけで、そうすると、我々はそんなに思うようには生きられないので、途中で必ずボロが出て、挫折するというのがオチで、そして、宮沢賢治とはお別れということになります。よく太宰治の文学は麻疹みたいなものと言われますが、若いころ太宰が好きでも、会社に入って数年すると、社会の仕組みの中で生きていくことを身につけたところで、太宰とはお別れということになります。宮沢賢治も『雨ニモマケズ』から入ると、自分はダメで欲の深い人間だったと気づいて、そこから逃れられないと、まじめに考える人は離れていきますね。」


042.gif そうすると、初心者が宮沢賢治を読むにはどこから入ればいいですか。

「やはり、童話集の『注文の多い料理店』が良いと思います。小学校5年生で教科書に収められています。あと『やまなし』という作品も収められていて、これも童話でほぼ全国の子どもが読んでいますが、読んでもさっぱりよく意味がわからない、教師泣かせ、子ども泣かせの教材です。宮沢賢治の作品は、分かりにくいということが基本にありますが、『注文の多い料理店』は、例外的にわかる作品なので、教科書教材としては適切だと思います。対照的に、『やまなし』の方は適切かどうか、意見が分かれるところだと思います。私の経験では、小学生の時に『やまなし』を読んだ子どもが大学生になったとき、例えば40人の学級で1人くらい強烈な印象を持って大学生になっているケースがあります。作品の細かいところは忘れたが、ある部分、『クラムボンは笑ったよ。』『カプカプ笑ったよ。』『どうして笑ったの。』『わからない。』みたいな意味不明な会話で全く分からないで、小学校を卒業していくわけですが、大学生になってもう一度、宮沢賢治と出会って、読み直してみたときに、実は強烈な印象を持ち続けているんだという人が時々いるわけですね。そういう子が本当に宮沢賢治好きになっていきます。」


018.gif 東日本大震災のあと、今の時代こそ、宮沢賢治だという人がいますが・・・。

「たぶん、それは、『雨ニモマケズ』のイメージがあるんだろうと思いますね。確か『雨ニモマケズ』の英訳を朗読した子がいて、それがニュースとして発信されましたが、『雨ニモマケズ』が『災害ニモマケズ』という文脈で読まれてしまったからだと思います。

c0223443_14414442.jpgところが、あの作品は、最後に『サウイフモノニワタシハナリタイ』と言っていますので、「なれなかった自分」という認識が非常に深いんですね。つまり、自分の人生に対する後悔というものが基本にある詩なのですが、最後の一行まできて、すべてがどんでん返しになります。冒頭からの『雨ニモマケズ 風ニモマケズ 雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ』だけだと、『苦しいときにみんなで協力して頑張りましょう』という意味に理解されがちで、それで頑張れれば構わないんですが、人間というのはそう頑張れないものだというのが、宮沢賢治の認識にあるわけです。


009.gif その認識はどういうことによるのでしょうか。

「それは、つまり善意が必ずしも相手に伝わるとは限らないということです。もちろん、宮沢賢治のように病気をしてしまったら、善意というものは行えないわけですが、宮沢賢治の場合は特に、自分の家が東北でも屈指の地主でお金持ちでしたから、周りがなかなか理解してくれないんですね。自分が農学校の先生をやって、給料をもらっているわけですが、貧乏な人から、または普通のサラリーマンや教員仲間から見れば、お金持ちのお坊ちゃんの善意というふうにしかとられないことがあるんですね。例えば、肺結核で休職を余儀なくされている友人がいるわけですが、妻子があって大変だろうと、そこに自分の給料袋を持って、その半分を渡してこようとするんです。その友人にとってみれば、『ふざけるんじゃない、俺を馬鹿にするのか』、『そんな善意なんて、俺は受け取らない』と言われ、しかたなく宮沢賢治は下を向いて帰ってくることになります。私は下を向いて帰ってくる姿が宮沢賢治らしいと思います。こういう挫折が宮沢賢治の読者にとって大事なんですね。」


027.gif そのほかにも宮沢賢治の特徴的なお話はありますか。

「その後、宮沢賢治は農学校の教師をやめて農業をやるわけですが、その時に地域の人を集めて、羅須地人協会という青年団みたいなものを作ります。そこでは非常に文化的な雰囲気で、例えばレコード鑑賞会だとか、あとは、今の農業に必要な肥料についての化学の講義だとか、いろいろなことをします。しかし、そういうことをしても周りの農家の人からは、『あそこの宮沢財閥の倅なんだ、それのお遊びなんだ』、『困れば家に帰ってしまうんだから、いずれ辞めて帰るんじゃないの』というふうに冷たい目でしか見られていなかったのです。その苦しみがたくさんの詩に書かれています。『雨ニモマケズ』は、最終的に亡くなったときではないのですが、結核により死を覚悟したときに、おそらく、そのような思いを書いたものだと思います。そうなので、親切にしようとしても相手に受け取ってもらえないとか、そして、もしかしたらそれは自分が悪いんじゃないかと思うようになります。宮沢賢治は、それを『慢』と言っていますが、自分は知らず知らずのうちに慢心になっている、そのためにうまくいかないと考えます。父親の稼業(古着商・金貸し)を手伝っていたとき、30銭くらいの質草に対して彼の親切心から1円も貸してしまいます。しかし、父親から1円貸したら借りた本人は1円返さなければならないじゃないかと、叱責を受けるように、宮沢賢治の親切は必ずしも社会的に受け入れられるものではなかったのです。」


034.gif そういえば、宮沢賢治の生まれたときと亡くなったときの前後には大規模な地震・津波が発生していて、宮沢賢治の生涯を通じて何か合うものがあると弟の清六氏は指摘していますが…。

「確かに宮沢賢治の人生は、挫折と苦悩の連続でした。しかし、絶望している宮沢賢治が妙法蓮華経を信じることによって、自分は救われるという意識を持ち、さらに高い次元の苦しみの克服を求めたとき、宮沢賢治はそれを詩や童話で表していったわけです。けれども作品の中には仏教的な臭いは全くありません。宮沢賢治がなぜ、この時代に読まれているかと言えば、強い信仰を持ちながらも、自分の生の信仰心は全く作品に出していなくて、出さないことが本来なんだという強い信念があって、それが正しいものだと考えられているからです。」


026.gif そうなると、「雨ニモマケズ」のテーマは何でしょうか。

c0223443_14465282.jpg「テーマといったら難しいですが、『雨ニモマケズ』の底に輪廻転生観が存在することは確かです。宮沢賢治は死を意識していましたから、今生きているこの世では、自分は雨にも負けているし、風にも負けているし、人に親切にできない人生だと、この次に生まれ変わったら、結核にならないような丈夫な体をもって生まれ変わりたい。そうすれば、東に困った人がいれば助けられるし、西に困った人がいたら助けられると、でも自分の人生は人を助けることができなかった人生なんだというのが基本的な考え方なんで、私は人を助けましたという思慮はないということですね。生まれ変わったら丈夫な体をもって病気に負けないような体でいたいものだと、そういう生まれ変わった先のことまで考えているところが宮沢賢治のすごさなんです。今どうこうというものではないということです。現在だと、あの作品を読んでしまうと、生まれつき体の弱い子は救われないんですよ。ですから体の元気な人のためだけの作品になってしまって、本来の宮沢賢治文学というものは身体が弱かったり、心が弱かったり、悩んだりする人のためにあるわけなんですね。だから、今身体が弱くて学校にも行かれない人が読んで宮沢賢治は救いになる。『雨ニモマケズ』を読み違えると、そういう人は、私は生れてこない方が良かったということになってしまうので、そういう読まれ方や受け止められ方はしてほしくない。戦前はそういう読まれ方をしたわけです。お国のためにならないから。だから滅私奉公という形で自分の身を捨てて国のために働くという思想にすり替えられていましたから、今の時代も節約とか、エコとか、頑張れ、やればできるじゃないか、というときに宮沢賢治が復活してくるのは、そういう亡霊なんですね。そういうふうに捉えられたら、もう流行の波に乗っているだけですから、宮沢賢治の本質的な面白さは出てきません。」


◎最近の研究は、「宮沢賢治文学における地学的想像力」

c0223443_14505299.jpg003.gif ありがとうございました。宮沢賢治文学の一端を垣間見た思いがしました。
さて、それでは最近の研究テーマについて教えてください。

「文教大学に赴任して5年が過ぎましたが、赴任してからはずっと、地学と宮沢賢治の作品をつなげて考えることを研究しています。私の言葉で言うと、『宮沢賢治文学における地学的想像力』というタイトルで紀要などに掲載しています。」


013.gif 「ちがく」というのは?

「文字通り『地』の『学』と書きます。岩石学地質学宝石学、あと化石などが研究対象になります。」


027.gif 石と宮沢賢治の作品とは、どのような関係があるのですか。

「それは、宮沢賢治の作品を少し読むとわかるんですが、最近出版した『宮沢賢治文学における地学的想像力』の一節を読みますと、『楢ノ木大学士の野宿』という童話の中に、
・・・『先生、ごく上等の蛋白石(オパール)の注文があるのですがどうでしょう、』・・・とか
『うん、探してやろう。蛋白石のいいのなら、流紋玻璃を探せばいい。…(略)アメリカのヂャイアントアーム会社の依嘱を受けて、紅宝玉(ルビー)を探しにビルマへ行ったがね、…』という文章があります。そして、蛋白石を探しに行く場所が何と岩手県なんですね。実際、葛丸川というところが出てくるんですが、これは現実に花巻の石鳥谷にある川の名前です。これを読んだ人は葛丸川に行けば蛋白石が手に入ると思うわけですね。結局、最後には宝石にならない蛋白石しか見つからなかったということで終わるんですが、なぜ蛋白石の捜索を日本国内で実施したかが気になります。紅宝玉ならビルマ(現在はミャンマー)ということは周知の事実なのですが、蛋白石なら、当時の文献ではオーストラリアか、メキシコへ行かなければなりません。それをなぜ、地元の岩手県に行ってしまったのか。実は日本にも宝石になる蛋白石の出るところがあります。福島県の宝坂という鉱山です。明治から大正にかけて『東京宝石株式会社』というところが採掘していました。それを宮沢賢治が知っていたかどうかということになるんですが、私は知っていたという仮説から研究しています。当然、そこを解き明かすには、岩石の知識も必要になってきます。実際、そういう現場に行って採掘などもしています。」


c0223443_14551233.jpg「これは主人公の楢ノ木大学士が見たかもしれない葛丸川の石です。安山岩集塊岩というもので、岩石の亀裂に蛋白石(オパール)らしきものが確認できます。ただし、国立科学博物館でX線分析をしてもらったところ、蛋白石ではなく、石英という結果でした。外見はいかにも蛋白石のようです。当時賢治がどう判断したかの推測は、拙著に書いておきました。」

c0223443_1457331.jpg「今の話は、まだ始まりの部分なんですが、この童話のおもしろいところは、その後の3日間の野宿の出来事の方で、恐竜が出てきたりして、ユーモアあふれる展開になっていて、その表現には、地学の知識がふんだんに盛り込まれています。」



034.gif なるほど、宮沢賢治文学と地学には深い結びつきがあるんですね。だから先生の研究室には、ところ狭しと、岩石が溢れているんですね。


◎お宝はなんですか?

c0223443_15047100.jpg017.gif それでは、お宝を紹介していただけますか。

「はい、蛋白石もたくさんありますが、ここでは、火山弾を紹介しましょう。火山が爆発してマグマがぐるぐると回転しながら、このような形になります。標本は50㎝くらいある大型でめずらしいものです。しっかりと回転している跡が残っています。宮沢賢治の童話に『気のいい火山弾』という作品がありますが、授業でこれを持っていくと学生もイメージがわきやすいと思います。」


◎恒例! わらしべの交換です。

c0223443_1525485.jpg003.gif では、最後に恒例のわらしべの交換を行いたいと思います。
これが前回、健康栄養学部の都築先生からいただきました象牙製のペーパーナイフです。

「ありがとうごさいます。大切に使わせていだたきます。」



c0223443_155199.jpg005.gif それでは先生の交換物はなんでしょうか。

「この部屋にはいろいろありますが、エチオピア・オパールにしましょう。写真ではよく分からないでしょうが、オパール特有の遊色が鮮やかに表れているものです。」


035.gif 鈴木先生、ありがとうございました。


さて、このエチオピア・オパールがどんなものに化けるか、乞うご期待です。
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by bunkyo_warashibe | 2011-07-13 15:08 | 文学部